⑤〜帰国へのきっかけ編〜

日本に帰る帰らないが決めきれずにいた私は、2ヶ月間日本にテスト帰国することにした。
旅をしながら今の日本を見てみようと。

日本が窮屈で海外逃亡したようなスタートだったので、あの頃の気持ちになったらまたメルボルンに帰ってくればいいと決めた。

帰国前に私の人生が大きく変わると感じた出会いがあった。
当時は世界を自転車で旅をしながら現地の小学校と福島県新地町の小学校をスカイプで繋ぐ授業をされていた自転車冒険家の西川昌徳さんだ。

今は日本で子供たちと自転車旅をしている。
彼に始めて会ったのはメルボルンで開催された西川さんの講演会で小菓子を作らせてもらった時だった。

こんな人がいるんだと頭を打たれたショックがあった。うらやましいとの思いも。
あ、今日私の人生が変わるな、と講演後にはっきりと感じた。

その後、帰る帰らないで迷っていた私に
「ゆうこさん、新地の僕の教え子にオーストラリアのお菓子を教えてもらえませんか?」と西川さんから声をかけてもらった。

震災の時、何もできず見送った思いを四年後機会を与えてもらえることが嬉しかった。
お菓子クラスは7名の子供達が参加してくれた。


クラス後、メルボルンの街並みや雰囲気、どんな人たちがいて、どんな職場で働いているのかをみんなに紹介した。


私の中では、もし日本が難しかったら海外でも生活はできるよ、こんな生き方もあるよ、そんな風に伝えたかった。

あれもこれもと詰め込んでしまい、反省ばかりのクラスだったけれど、お母さん方から震災の時のことを聞けた貴重な時間だったし、自分なりに考えることができた。
旅をしながら、メルボルンから帰国した友人、西川さんの仲間を紹介してもらいながら、四国徳島まで南下。
その中で同じ位の年齢の人たちが、自分のやりたいことで独立して生きているのが見れて話しを聞くことができた。私にもできるかなと背中を押された気がした。

旅の始めに行った青森では駅前で中学生が「未来ひらめき想像塾」という発表をしていた。

いくつかのグループに分かれて自分たちが考えた青森のお土産品を誰に向けて何をどのように売るのか、マーケティング形式で発表していた。

今の中学生がどんな事を考えているのか知りたかった私は、一通り発表を聞いたあと何人かの子に質問した。
「私は今海外から戻って来ている時なのですが今の中学生と話す機会がなくて、、どんな事を考えているのか聞かせてもらえますか?夢とかってあるんですか?」

ある女の子は、「私は建築士になって、青森に建築物を建てたい」

ある子は「私は青森の観光課に勤めて青森のお土産を開発したい」と言っていた。

「まだ分からないからこうゆう塾に参加している」という子も。

青森で何かをやりたい、青森、青森。青森熱いな。。すごいな青森。

八王子に地元愛がそれほど無かった私は衝撃を受けた。
そしてなぜだか私はこの年齢の子たちと関わる仕事がしたい、と感じた。

一回海外に出るのもいいよ、外から客観的に日本を見ることでまた日本の良いところ、気を付けて考えないといけないところが明確になる。それを戻ってきた時にそれぞれが還元していけばいい、繰り返しになるがやはり同じだった。

実際、向こうにいた時は日本は本当に素晴らしい国だ、と言われた事が多かった。
日本に旅行に行っても分かりやすく、人が丁寧でやさしい。そんな風に良く言われた。
ダイソーのゴムベラがいかに素晴らしいかを興奮して私に見せてきたシェフもいた、笑。
日本にいると暗いニュースに囲まれ見えなくなっている事が多いけれど、真反対の海外の”日本素晴らしい説”。

結構はっきり物事を伝える海外から比べて、言葉にしないけれど人を思う心だったり、察する気持ちだったり、そうゆう日本の精神性は他の国にはない素晴らしい部分だと感じていた。

中学生と話した後、私ができる事は何だろうか。
新幹線を待つ青森駅エスカレーターで、もんもんと考えていた。

私にはお菓子クラスができる。。それを英語でもできる。
、、お菓子クラスができる場所。

カフェか。

何かが繋がり涙が溢れた。
(続く)

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