イギリス、フランスを周り、メルボルンに帰る前に日本にホリデーに戻ってきた。
また向こうに戻れば無職だ。職を探さなければ行けない。
NOBUですべてを出し切ったと感じた私はかなり放心状態だった。戻ったところで私はあと何が学べるのかと考えていた。
メルボルンに戻る日程と飛行機のチケットだけがある。答えが出ない。
日本に帰ってくる?
たぶん難しい。
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NOBUを辞める前、東日本大震災があった。
社食のテレビから流れる映像を呆然と観ているしかなかった。
これは本当に日本で起きているのか?、、
海外にいる自分は日本人なのか。。
ただその時何ができる訳でもなく、帰国する訳でもなく、何もできない自分にただ目を瞑るしかなかった。
結局メルボルンに戻ってきて、職場探しからまたスタートした。
ギリシャ人の経営するケーキ屋さん、ハイクラスのクオリティーのケーキを出すカフェ、州立美術館の中のティールーム、最後はメルボルンでも躍進中のカフェで働かせてもらった。
やはり働けば働いたところで学ぶことがある。
でも視点が以前の技術のことより、その店のマネージメントの方に興味が向いていた。何がいいマネージメントなのか、を自分なりに知りたかった。
ある店は人材を大事にするより、新しい機材をどんどん導入することに投資し、スタッフのモチベーションは低かった。
ある店は呪われたかのようにチームが分裂していった。
ある店は家族経営の骨組みがしっかりしていて、ビジネス拡大中。
向こうの人と働いておもしろかったのが、「気にしない」ことだった。
以前にも書いたが、今日は今日、明日は明日。
その割り切り感はなかなかできない。少なくとも私には。
本当気持ちいいほどカラッと忘れる。時々びっくりする位。
ある職場でトイレに行くと言ったまま帰ってこなかったシェフがいた。
そういう人は時々いる。
だが彼は1年後同じ職場で再び働き始めた。
何故にマネージメントは彼を再雇用したのかまったく理解ができなかった。相当人手が必要だったのかもしれない、、でも何故にそのシェフを。。
彼は「長いトイレだったな」とみんなのネタになっていた。おもしろい。
日本では絶対あり得ない。。
良いマネージメントをしている職場は雰囲気がいい。人を大事にしていて信頼できるチームができている。それが答えだった。
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メルボルン7年目を迎えた年、祖母が亡くなった。急いで休暇を取り日本に戻ってきた。
大好きな祖母はとても苦しそうで、もう次に会うのは難しいと分かった。
メルボルンに戻ってから、しばらくして祖母が亡くなったと聞いた。大泣きだった。
それから私はこの先もここにいたいのだろうか、と少しずつ考え始めた。
家族と離れてまでオーストラリアにいる必要があるのか。。
ただ、今更日本に帰っても日本の会社に勤めるのは難しいだろう。そもそも海外にいる分気だけは強くなっている。
少しづつ日本に気持ちが向いてきていた。ただ帰る勇気が出ない。
今更日本なのか?
帰って何をする?と自分自身に問いかけていた。
(続く)
お写真始め、小学校のフェスティバル。
移民の街メルボルン。生徒も先生も違うバックグラウンド。みんなそれぞれの国や文化が分かる衣装を着ている。日本人の女性は浴衣を着て折り紙や巻き寿司を作っていた。
ギリシャのケーキ屋さんで働いていた時のイースター、復活祭。チュレキというパンは赤く染めた茹で卵をパンの中心に。
ギリシャではイースターの時期が1番繁忙期。このパンも出せば飛ぶように売れた。
次へ ⑤〜帰国へのきっかけ編〜