【店主ゆう子20代初めNZで過ごした日々のこと】
なかなか長いですよ。
長すぎてお客さまから質問されるとどこから話していいのか分からなくなるので、こうして徒然なるままに書いてみたいと思います。
読みにくかったらすみません。。
思えば、NZ3年➡️日本2年➡️オーストラリア10年と私の20-30代半ばまではほぼ海外でした。
みなさんによくすごい行動力だね、と言われるのですが、いたって本人は日本にいられなかっただけです。
海外の方が性に合っていたからかもしれません。
徒然なるままに。拙い文章ですが、お写真と一緒にご紹介できたら。
ご興味ある方、これから海外に出てみたい方にご参考になりましたら嬉しいです。
高校卒業、製菓学校を卒業し、めじろ台のパテスリーメゾンさんで就職をさせていただきました。2年に満たない短い期間でしたが、お菓子作りの基礎を教えていただき本当にお世話になりました🙇♀️
パティシエの卵の卵の私は、それから一年アルバイトをし、21歳の時ワーキングホリデーを使ってNZへ。
何故NZ だったのか。
『視野を広げたかった』
シンプルでした。
他の国を見てみたい、あの頃はとにかく日本を出たかった。
NZ は英語圏の中でも比較的物価が安く、貯金はしていたものの、何とか職が見つかれば生活はできるだろうとの判断でした。
行く前はNOVAには通ってはいましたが、実際現地での英語はほぼゼロスタート。
運良く3日目でインド人オーナーのカフェでの仕事が決まりましたが、何を言ってるのかがまったく分からず、、日本人的なyes,yesといいながらもやっている行動もチグハグ。
最終的にはオーナーから『あなたはyesといいながら分かっていない』と図星な指摘を受け、
これが私の英語のスタートだと大泣きをしての自覚。
分かってはいた。こうなることを。
その後、新聞を買ってきては一つの記事を1か月かけて読み切り、やっと理解できたときほんの少し自信になりました。
なんとかカフェの仕事も慣れてきたた3か月後、南島の旅へ。バックパックをしょいながら現地のバスを乗り継ぎ、りんご農園でパッキングの仕事や、山奥にあるドイツ人ご夫妻のいるカフェで働かせてもらえた貴重な経験。
ワーキングホリデー6ヶ月目で出会ったDunedinという街にひとめぼれをし、バックパッカーズでクリーナーの仕事をしながら、昼夜と日本食レストランで働かせていただきました。
いろいろドラマもありながら、現地での自分の英語力に限界を感じ、何か強いスキルが欲しいと感じた24歳。一度日本に帰ろう、と。
やはり英語圏で、ちゃんと仕事をしたい、永住権を取りたい、そんな思いで次はオーストラリアに行こうと決めていました。
お写真は、オーストラリアにいた時に10年振りにNZ に帰ったときのものです。
お世話になったバックパッカーズのオーナーが亡くなったと聞いて。
確かクライストチャーチでレンタカーを借り、クイーンズタウンへ向かう道中。
10年しても何も変わらない景色に、嬉しいやら懐かしいならで、いろんな思い出が一気に込み上げてきました。それがすごく心地よかった。
お写真のMt.Jonesという山の頂上にあるカフェ。360度ため息が出た素晴らしい景色でした。
向こうでは普通の景色が、映画を観ているかのような。。私はここにいたんだな、としみじみ思いました。