③〜仕事編①〜

NZの時とは真逆で、メルボルンでの初めての職探しは苦労(使ってるw)した。
早く仕事を見つけて、永住権の為の時間数を作り始めたかったのもある。
【経験者優遇】みたいなビラに、まずは経験をさせてほしい、と思いながら仕事を探していた。
履歴書を配り歩くもまったく連絡をもらえず、最後に手元に残った1枚をどこに持っていこうか。ふと学校の課題で訪れたイタリアンレストランを思い出した。
「今ヘッドシェフがいないから、1時間後に来てほしい」と言われ、川沿いのベンチで緊張しながら待つ。
その後面接で「製菓をやっていたのか」とそのベヘッドシェフは興味を持ってくれた。そして念願の採用。
アジア系のレストランだと暗黙の了解で最低時給以下で働かせられるところが多い。

そして生活の為に仕方がないと受け入れてしまう。
だからこのイタリアンレストランからの採用は私には飛び抜けて嬉しかった。

時給もちゃんとしていた。
400席あるレストランでの週末は戦場のようなもので、キッチンでのサービスに立っている第一線のシェフたちは予測と正確性が必須。

ミスをすると容赦なく怒鳴られセクションを外される。
私の弱さは涙が出てしまうこと。泣くことも悔しくてまた涙が止まらない悪循環。
ただ終わったらみんなカラッとしていてとても気持ちが良かった。

今日は今日、明日は明日と。
サービスにも慣れてきたころ、まだサラダセクションにいた私は、シェフになるにはフライパンのセクションをしたいとヘッドシェフに伝えた。
結果「400席をまわすのに力が足りない」と言われた。

忙しいピークに8つのコンロを同時に回せるかといわれ、男性でも腕に傷だらけでやっていたのでやはり納得せざる終えない自分がいた。
「デザートセクションはどうか?」
今までデザート担当のシェフが辞めることになり、私に声をかけてくれた。

一度はもうパティシエはできないだろう、と感じていたので自分の中で新しい風が吹いた。


それからパティシエの道が再び開き始めた。
そこのレストランでは2年間お世話になり、永住権が取れたあとは、ホテルに就職が決まった。
そのあと、メルボルンでは1番高級なホテルの中のあるNOBUというレストランへ。

NOBUがメルボルンにできたときは話題になった。豪華でエレガント、一体どんなシェフがデザートを作っているのだろう、と憧れもあった。

まさかご縁をいただけて自分が働けるとは思わなかった。


NOBUでの4年間、自分では本当に成長したと思う。
デザートの経験と知識を貪欲に掘り下げられたし、トップクラスの材料を使わせてもらえたことは感謝しかない。最後の一年はデザートセクションを任され、すべて出し切ったと感じた。
トップのNOBUさんに辞めることを伝えた時、「今の自分のレベルは他の国のNOBUのデザートと比較してどうなのかを感じたい」と伝えた。

そしてイギリスのNOBU2店舗での研修を認めてくれた。辞める私を。

1週間のイギリスでの研修。同じ意識のシェフたちに囲まれ、自分のやってきた事を再確認できた。イギリスの後はフランスに渡り、本場のお菓子やデザートを見て食べて。一日2食は甘いものだったので、あっという間に口内炎ができた。笑

ケーキとデザートの違いに行き詰まった時は、個人で通っていたお菓子のスクールにゲストシェフで来ていたシンガポールの女性シェフ、ジャニス・ウォンにもお世話になった。

今日本でも出店、新宿の南口前にあるおしゃれなデザートレストランである。
新進喜悦のデザートテクニックとアイデアとセンス。
彼女のクラスを取ることをあらかじめメールで送り、1週間シンガポールで研修をさせてもらえないか、と書いたらokと返事をもらえた。
強い思いを持ちながら思い切って動くことで繋がり、また新たな経験をさせてもらえた。

本当に感謝しかない。
(続く)

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